小生が己を振り返りつらつら書くだけ その1

 

西暦2018年4月14日午後1時40分頃、仙台市某所の病院にてとある人間が「ADHD」であるという診断を受けた。その者は「やっぱりな」と納得した。以下もくじです。

 

1.きっかけ

2.自分の状況

3.過去の自分を振返る

4.服用

5.今後

 

3回位に分けて書いていこうと思います。

 

1.きっかけ

 

どうも西之茂庭平です。ADHDらしいです、はい。医師からそう言われて絶望するかと思いきやそうでもありませんでした。というのも5年くらい前から薄々感づいていたんです。そして就職して担当部署が変わりマルチタスクが要求されるようになった。その状況で過ごして、

 

「あぁ、こりゃ間違いなく自分は発達障害だ」

 

と確信に至りました。というのもあまりにも症状と自分の状況が酷似していた。発達障害に関する書籍を購入して読んでみるにまるで自分をどこからか監視していたのかと思うレベルだ。そんで病院に行き専門家の意見を伺おうと受診し、15分のカウンセリングの後、

 

「あなたは典型的なADHDです」

 

と診断された。

 

 という風な流れで目次の通り順序立てて書いていこうと思った矢先だ、体内の血管にウジ虫が這いずりまわるようなさわさわとした不愉快感、前頭葉をロープで緊縛されているかのような閉塞感、思考のぼやけ、止まらない脳内の音楽再生が襲ってきた。薬の効果が切れかかってきたということだ。今回医者からはコンサータ18mgを処方されたのだが、この薬の効用はおよそ12時間で10時間経過後位から徐々に効力が薄くなっていくという。この部分の執筆時点でコンサータの接種からおよそ10.5時間経過しているから効果が切れかかっているということであろう。翌朝に再度摂取するまで書き続ける必要は別にないが、あえてこの状態で自分がどこまでできるか試してみるか。

 

 2.自分の状況

 

 去年の4月に新社会人として弊社に入社、そののち6か月間・4か月・2か月のペースであらゆる部署に対してジョブローテーションがされた。お分かりだと思いますが、発達障害の人間からすると仕事の内容がコロコロ変わられると非常にストレスです。私は今まで「注意力の欠如」は「トライアンドエラーに基づく事務知識の確実な定着」によって防ぐことが出来ていました。これが期間が短いとできないのです。つまり一つの業務でただただミスを繰り返して何も得ないという結果になるだけでした。この時頭がおかしくなっていた自分は心底自分自身に失望しました。自尊心も自己肯定感もただただボロボロにされただけでした。

 また、ジョブローテーションの内容そのものに関しても、最初の業務は、

 

「決められた仕事を決められた時間に行いつつ、目の前の仕事の処理に集中する」

 

というもので、仕事の内容自体は今思えば簡単だったのかなと。次の業務は、

 

「決められた期日までに仕事を完成させる・多くの書類を正確に記載してもらう」

 

というものであり、これは一つひとつの仕事が複雑で慣れるのに時間がかかったし、自分からなんとか解消という努力が足りなかったこともまぁあった。だが、案件の処理は1個ずつ行うことば基本であったことを踏まえるに、今となれば手帳やスケジュール表と事務知識の自助努力による習得で解決できたものであった。横やりが入らないのですね。そして現在の業務は、

 

「外から次々やってくる見知らね案件の処理、内部でのルーチン的案件処理、突発的に起こる内部の問題解決、定期的な報告物、各種用品の在庫管理…」

 

もう、誤魔化しが効くレベルではありません。やり方もよくわからない状態で前の担当者が転勤した上に補充要員はなし、俺に死ねってか?ということで毎日職場でびくびくしながら疲弊し、ミスが目立つようになり始める、しかも相当の注意を持たずとも防ぐことが出来るようなミスである。帰宅後は即倒れざるを得ない、自助努力もくそもないので事務習得など気が回らない、そして上司の叱責、2年目社会人として上司から煽られ、気力は尽き先輩には気が利かないと詰られる。なんで同じミスを繰り返すのだと詰問されスミマセンしか言えない状況。

 

このような状況でこの壁を乗り越えようと努力はしたつもりであった。最善を尽くそうとビジネス書を買って勉強したり、処理ノートなどを用いて優先順位をつける工夫、指示受けたことを忘れない工夫など自分なり策は練り実行した。だが、ダメだった。4月以降は「別の部署の手伝いと係の掛け持ち」も加わり、ますます今行っている仕事に多くの割り込み処理が入るようになる。そして手がつかなくなり、能率の低下、ミス、仕事の進捗の失念、業務の恐怖から逃避するために突発的な行動をとり叱責、自分が得意としていたルーチンワークまでミスを犯すようになる。

 

 この頃から朝起きるのが異常につらく感じるようになる。起床後胃が痛い、朝飯の際の吐き気、起きてから寝るまで付きまとう不安と絶望感から来る希死念慮、職場に到着後人目に付かない暖房室に行き電源を入れる際の動悸・息切れと嫌な汗…こんなのが4月4日くらいから始まった。こんな状況でもまだ「まだ耐えられる」と思っていた。

 そして心が壊れかけているという決定的なサインが4月の第2週目のある日に発せられた。職場の最寄りの駅に着き時間調整をしていると、ふと「自殺を決意し母親と祖父に今まで育ててくれてありがとう、さようなら、と言い残して死ぬ」風景が瞼の裏に浮かび駅のホームで涙が止まらなくなった、わかりますか、この絶望。職場の前まで泣きながら出勤した。体がまだ動くから鬱病ではないだろう。

 

「このままでは本当に服毒しかねない…」

 

と危険を察知した私はその週末に病院へ、そしてADHDと判断された。以上が今の自分の状況である。あぁ眠い…誤字も多くなってきたし入力ミスも多くなってきた。眠くてそわそわする、一旦ここまで。

 

・・・ 

 

ということで続き。正直言いまして、症状を宣告されて安心したという感覚はあります。職場での無能さは自分の努力不足によるものだと決めつけていましたので、これが半分くらいはこの症状を言い訳として緩和できるわけですから。もう半分は自助努力の足りなさに起因するわけですからこれはいかんともしがたいですけど。

 

 診断を受けて自分が該当する症状は”不注意”タイプです。ただし条件があり「急かされると・仕事がたまり追いつめられると」が付きます。とにかくこれがひどい。この状況が部署替えしてからは恒常的に続き症状の悪化に拍車をかけています。ひどいもんです、入社した時の自分のほうがましだったのではというレベルです。もはや上司にも見捨てられております。

 だからと言って職場に自分がADHDであることなど伝える気にはなれません。一般論としてこの症状は普通の人には理解しがたいものです。それを職場の人間に話す事でもしたら「お前みたいな使えねぇのはとっととやめろ」と言われるのがオチです。

 また、職場は自分のすべてを受け入れてくれる家族のような共同体ではありません。利益を稼ぐための集団であるのです。その中で自分がこういう症状だからしょうがねぇだろ!と堂々と主張した暁には迫害されます。人は優しくはないのです、特にこの競争の中で一人でも多くの人間を蹴落とすことを考える会社の中ではね。病気持ちつつもその場に順応して職場内の政治に負けないで生きていくことが出来ないとリーマンなどできないのです。

 鬱病は回避できたものの、自分の将来に関しては死ぬほど悲観的になっております。こんな状況の人間が今後この会社でやっていけるわけはない。さて、では再就職はどうする?65まで安定して生きていく職場などあるのか?そんなこと考えると、40歳で、いや正確にいえば23歳でこの世からおさらばすればいいというのが最適解なのかなぁと。何が楽しくてこんな不条理まみれでいいことなどない人生ゲームに強制参加させられなければならないのか、ということを最近昼休みに考えております。

 こんなこと書いて何がいいたいのかというと、完全に「二次障害」、特に鬱・不安障害・希死観念を発症しているということなのです。まぁもうどうしようにもなくなっております。医者も迷う必要もないレベルだと断言してた。さいですか…。まぁ、だれにも話せない状況だったのが、医者には聞いてもらえたから少しは楽になりました。どうにか親が死ぬくらいまでは生きてたいものですからね。

 

さて、これから私はどうすればいいのでしょうか。薬の効果がまた切れてきて考えがまとまらない…。でもツイッターとかはできるから不思議なのですね。ツイッターなんて見ているようで何も見ていないような気もしますけどね、不注意型の人間としてはなんでもかんでも情報が目まぐるしく飛び込んでくるあの空間は非常に心地いのかもしれません。 誰に投げかけているのかわからん言葉も今日はこの辺で。

 

つづきます

 

 

 

 

ADHD患者の読書感想文 その1

 

読書感想文 さびしすぎてレズ風俗に行きました

 

お久しぶりです、コンサータかまして少しは病気が治癒していると思われる西之茂庭平です。今は蜘蛛の糸を聞きながらネカフェで執筆()してます。実はですね、今日人生で初めて精神科・心療内科を受診し一発目にて、

 

「あなたは疑いようのない典型的なADHDだね」

 

というありがたいお言葉をいただきました(そんな気はしてた)。病院行く前にADHDに関しては死ぬほど調べたから医者の話はすごくわかるし、医者も話が早い患者だと思った模様です。ADHDとは病気というよりは脳みそ内部の神経の性質(一般的に言えば乱視とか吃音とかそういう類の)本人の意思ではどうしようにもないものだと説明を受けた。うむ、これでいいのだ(Cf.筋肉少女帯)。

 

ところ変わってこういう本を読む機会を得た。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

 どちらかというと本番の内容に焦点を当てた内容ではなく、レズ風俗にたどり着くまでのいきさつと事後に焦点を当てた内容である。

 簡単に概略。親の期待・承認欲求・自分の居場所を求める気持ちと社会の厳しさと狭間に苦しみ自己否定へと向かう。さらに無意識に「母親に依存すること」とで自身が「自立(場合によっては自律)した大人」になることを拒んでいた少女いた。自己否定と自傷を繰り返していた少女が再起をかけた就職活動を通して「母」という言葉に象徴されるような「ぬくもり」と「自分自身を知ること」を求め、その手段として「性への関心を封じ込めること」をやめること、そしてレズ風俗を通じて「性」に触れることを望んだ。そこに初めて「主体性」が生じ、同時に精神的・物理的な自己投資の必要性を感じることを通していままでいかに自己を大切にしていたかったことにも気づく。最終的には嬢とホテルまで行き行為には及ぶものの「相手に自分の心を開けなかった」という結果に終わる。その経験から「セックスは行為ではなくコミュニケーションである」ことに気づき、この時の感情や後悔を美化させることなく赤裸々に綴り周りに公開したいと感じペンをとる。その作品の評価等を通じて「本当の自己」と、生きていくために必要な自分の「甘い蜜」の存在に気づき、いうなれば自己実現の達成のための階段を上り始めた。

 

というのがおおよその内容。面白かったですよ。ただ何が面白かったかをつらつらとここに書いても小学校の読書感想文で書籍内容を要約してくるだけのものを作る10歳児と変わらない。ので、今日の出来事や実際の私の経験を踏まえて私がこの本の内容に触どのように感じて今後どうしたいかをまとめてみる。これを通じて今日の出来事を自分の中で客観化を試みようと思う。要は、

 

彼女が作中でいう「甘い蜜」を得る為の一歩を踏み出せたときの恐怖と勇気を今の自分なら痛いほど理解できるということを伝えたいのです。

 

 自己肯定…これって難しいのです。当初作中の人物は自分の居場所の喪失と親の期待に応えられないことなどの要因のため自己肯定ができなく抑うつ自傷に走っている。

 これを踏まえて自分を振り返るに、「就活を失敗したこと」「彼女ができないこと・交友関係が狭いこと」「仕事ができないこと」を気にして「自分などどうでもいい」と思っていたと改めて気づく。現に今でも親さえ生きてなければ自殺していいと思っている節もあります。

 でも、本当に大切なのは「それらの問題にどう努力して立ち向かったかの自分の評価」であるはずである。ここに気づけないと人間自分を高く評価はできず自己否定に直結し、やることやすことへの意欲もそがれる。うつ病患者の完成だ。

 本当に大切なのは他者視点ではなく、自分は自分をどう評価である。だが、自分視点で評価できるようになるのは難しい。他人が自分を評価する目は無限にあるのに対して、自分が自分を評価する目は1個しかない。他者の意見踏まえて多数決の原理で評価を算出したら自分が自分を評価できないのは当然である。そこに親の期待とかいう評価を入れれば自分の人生を自分で歩むことなどできない。そのなかで、能動的に自己評価をしそのために自己実現の道を歩み始めることなどふのうであろう。

 この作者も自分自身の評価軸を持ち、実際にレズ風俗に行き自分自身に変化を与えるのにはかなり腰が重かった様子である。そのとおりである、人間泥の底から抜け出す努力よりも泥のそこで息苦しさを我慢することを選択しがちである。

 作者と同様に私もこれに嫌気がさした。泥沼の底に安住することを捨てるため「自分は正常な人間である」と思い続けたいという5年以上固執続けたプライドを捨て、素直にコンサータ先輩に助けを求めた。よくその決断をしたなといまは自分を褒めてます。

 

だからもう一度書きます。彼女が作中で能動的人生を歩み始めたときの勇気には共感するところと感動がものすごいものであったということを伝えたいのです。

 

  プライドを捨て自分が発達障害という事実を受け入れ、新たに人生を自分で歩もうと能動的になれたこの日に、このような書籍に出会えたことがうれしかったのでここに、それこそ「今感じた感情が変質しないうちに」記録したということです。 

 

 そして、私にとっての「甘い蜜」を発見することが出来るまではせいぜい、生きてあげようかな。

  

P.S. その1

 なんで唐突に読書感想文を書こうと思ったのかというと、自己表現と題して作文を生み出すことは嫌いではないのである。文章力は高くはないとかそういうのはどうでもいい、この文章そのものの表現力の評価など気にしていないで書いている。自分がこの内容いいなぁと思えればそれでいい。ここにも自己評価ができるようになるための努力があるのである。

 あと、職場で私が唯一褒められたものが「入社して一年を経て」という題目で書いた作文の質の高さに関してだからです。それ以外は本当にとりえのないゴミみたいな人間像として職場では認識されていると思います。でも、いまならその職場に一言言える気がします。

 

しょーがねーだろ発達障害なんだから 

 

P.S. その2

初めて風俗に行ったときお前はどうだったのかについても書こうとは思ったが需要なさそうなのでやめた。

 

Fin

風俗にそこそこ金使った人間が目を覚ました話

 

バスネタでブログ書こうかとも思ったが特に思いつかない。たまにはこういうのもありだろうということで社会人一年目あるあるネタとして「風俗に若干嵌って飽きた」話でも書いてみようと思う。実際のところ一般世間からすればかわいいレベルですが、私の給与からすれば大きいです。そんな人間がふと思った事を、体験を交えつつつらつら書いていくだけのコーナーです。なので綺麗さも理路整然さもありません。

 

1.何が楽しいのか

 

本番するだのかわいい人としゃべるだのそういうのもそうなのですが、インターネットのコンパニオン紹介サイトや掲示板で嬢のあれこれ調べて誰がいいかと品定めしているときのワクワクが良いのですねこれが。そして、実際に行ってその分野での一流の人間とお手合わせ出来る事に感動するわけなのですよね。あと嘘でも自分にとって気分のいい言葉を吐いてくれるのもありますかね。

 

あと風俗そのものではなく、その体験談を仲間内でするのが楽しいってのはありますね。つうかコレが大半な気がする。

 

2.どうしてそれを求めるのか

 

単純に日々の職場でのストレスと代わり映えのない日常への飽きから刺激を求めるのだと思います。あと、若干のカウンセリングですかね。内容問わず話を聞いてもらえるだけで救われるってやつです。

 

3.自分の性格

 

「ハズレ」引くのが嫌ってことですかね。必然的に一度見つけたオキニのようなものに何度も指名する。客観的には「入れ込みやすい」と見えてしまうわけだ。

 

4.警鐘

 

上司からとあるとき、

 

「あーそういう感じか…君、気を付けた方がいいよ、風俗行ったら危ないタイプだ」

 

と言われた。まぁそうですね、これでは要は「貢ぐ」ということにつながるわけです。その通りだと思います。この言葉がなければ私はおかしくなっていたかもしれない。また別の日、私は同期から聞いたオススメの嬢とお遊びをしていた。その時のある会話を一部引用しようか。

 

嬢「風俗は浮気だと思う?」

茂「浮気ではないと思いますね」

嬢「どうしてそう思うの?」

茂「客である私はお金を、そちらはそれを受け取り楽しみを与える」

嬢「それで」

茂「その行為が部屋の一角の中で完結する、遊園地と同じだからだと思うからです」

嬢「ふふふ、面白い考えね、私も浮気とは思ってはないの」

茂「ほう、その心は?」

嬢「あ・な・た・と・お・な・じ、私はそう、テーマパークでおもてなしする従業員」

嬢「それはパークの中だけで完結する一時のもの、お遊びなの」

(中略)

茂「互いに考えが似ていますね、でもどうして今それを…」

嬢「だ・か・ら、あなたは夢を現実とごっちゃにしないでね、まだお若いのだから」

茂「…。あぁ、そういうことですね。」

嬢「さて時間もまだありますし、もう一回お遊びしましょ」

 

という会話をしました。何が言いたいのか、この会話でわかるはずです。この人は私が「嘘の世界に堕ちかけている」というのを見抜いていたのでしょう。確かに遊んでいるときは楽しいのです。でも、それが偽物であることを忘れたとき人間はおかしくなる。あの嬢は私に警鐘を鳴らしてくれたのだと今になって実感を伴い理解できた。

 

5.今後は

こういうことにお金使うことは旅行先とか同期との付き合いを除けば今後はたぶんないであろう。というのも「偽物」という事実に萎えたこともあるが、たぶん自分が知っている以上の上物サービスを提供できる人に巡り合う可能性がゼロに等しく、開拓自体も不毛であるというも理解したからでもあろう。自分の身丈にあった中でこれ以上の上物には巡り合えない。高級なウイスキー飲んだら安いウイスキー飲めなくなるのと同じですよ。そう思うと続けようとも思わないのです。

 

目が覚めたということです。それに金をつぎ込むならその金で別のもっと楽しい刺激を得ることはできる。煙草をやめ始めたときと同じ感覚です。ただ、これも煙草と同じで、またなんとなく行きたいなぁとか思うようになるのですね。ここを乗り越えてもっと違う世界に踏み込める人間になりたいと思うところです。いい加減現実を見ろということでもあるのです。

 

Fin

 

 

久々にサイトを更新しました

久々にサイトを更新しました

 

皆さま、あけましておめでとうございます。今年も「西之茂庭平」と「仙台市営バス系統紹介の寺」よろしくお願いします。

 

さて、今回の更新内容は以下です。

 

・35系統聖和短大前行きの中型運用の写真追加

・S888系統県庁経由仙台駅前行の写真追加

・X12系統福岡経由実沢(営)行の写真更新

 

とまぁこんな感じで文字だけで書いてもわかりにくいので捕捉を加えます。

 

1.URL:http://moniwadairassbkeito.web.fc2.com/izumi4.html#35I

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この系統は「始発→(北環状線)→(川平団地交差点右折)→(北中山二丁目交差点左折)→終点」という路線、年中を通して一日数本運行されています。ほぼほぼ大型で運行されるのですが、土曜休日の一便だけは中型で運行されます。中型で北環状線上りを味わえるってのは大きいとおもいますね。

 

2.URL:http://moniwadairassbkeito.web.fc2.com/8xx6.html#S888

http://moniwadairassbkeito.web.fc2.com/S888UK.jpg

休日に往復2本運行される葛岡墓苑線、基本は「始発→晩翠通→青葉通→終点」の経路で運行されます。たまに市内でイベントがあり大規模迂回がある際に登場します。ただほとんど登場しない(1年に1回くらい)。

 

3.URL:http://moniwadairassbkeito.web.fc2.com/izumi1.html#X12

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土日休日に1本運行される福岡花輪線の入庫系統。お客は全く乗ってないのが常。もしかすると、今年の4月の再編で消えるかもしれない案件なので取材を急いだものです。

 

3枚しか追加されてないじゃないか…というのはご愛嬌ということで。

 

また、更新したらここでお知らせします。では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.

ついでに現状の身の上などについて。残念ながら昨年就職してしまい取材も更新頻度も恐ろしく少なくなりました。ろくすぽアルバイトもしたことないような人間が社会に出たのですから大変心を病みました。よくまぁ薬を処方されないで済んでいるなと感心するくらいです。

 

それで各種イベントでの取材はおろか都バス中古導入などの一見イベントの参加さえも怪しい感じになってしまいました。趣味人としての私は死んだとあきらめつけるのにはかなりの時間がかかりました。第一線での速報性のある活動はもはやできないでしょう。「速報性よりも記録」に完全シフトする時期が来たのであろうと思います。というふうに思うしか…ないのかなぁ…。では。

 

 

S6157 ~最後のぎゃらりぃ様~

S6157 ~最後のぎゃらりぃ様~

S6157...正確には「仙台230あ61-57」でいすゞ U-LV224Mのことでです。1993年に霞の目新車で配属、その後は長い間所属を変えることなく、東西線開業の少し前に新寺に配属になり開業後は実沢営業所でしばらくの休眠期間を経て、わずかに実沢所属として運用、その後は白沢に転属し1年近く運用に入る。その後は川内に教習用の保留車配属となる。この車両は数々の奇跡を起こした我々アイドルです。

 

このバスの一番の特徴は「ぎゃらりぃばす・くれよん号」の1台であることでしょう。ぎゃらりぃバスはほかにもS6125、S6140、S6167、S6262と計5台有りましたが、最後の最後までラッピングが解除されず運用されていたのはS6125とS6157の2台だけです。S6125・S6167に関しては東西線開業によってわずかな保留期間を経てついぞ復活を果たすことなく廃車、他の3台はラッピング解除後も生き残り続けたが29年度末に廃車、最後の最後まで生き残ったのがこのバスなわけです。

 

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末期の霞の目・新寺所属時代はそこまで稼働率が高かったかといえばそこまででもなかった気がします。霞所属時代に関しては教習運用でくらいしか見なかったですね。 

 

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当時は存在していた七郷市民C始発の交通局行の路線教習時の写真です。撮影後すぐに来たK511系統に乗り交通局に向かうときに長屋敷付近で教習中のぎゃらりぃ様と再度邂逅。これと東西線開業前夜、狐塚にて巡り合った以外はそこまで接点がありませんでした。

 

そして、例の大改正を迎え61代までの古参車の多くが実沢送りになりナンバーが切られましたが、一部車両は保留者扱いで生き残ることになりその1台にぎゃらりぃ様も選ばれました。その後はS6128らとともに長い間実沢の端に留置されていました(2016年2月頃のこと)。

 

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そして年度明頃にぎゃらりぃ様と同じく保留車だったS6126が、運用離脱車補充のため復活します。そして…ついにぎゃらりぃ様も新型ワンマン機を積んで復活を果たしたとの速報が入りました。5月就活で駅前に来ているときに、なんと来てくれました。無論乗車、感動でした。

 

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なかなか撮影する機会がなかったのですが、年に一度の花火大会の時、再び捕捉できました。年にほぼ一度きりの西道路迂回の茂庭台行きに充当されたときでした。感動で感動で…震えました。この後地下鉄を利用し青葉山駅まで移動しあらかじめ手配していた車に乗り茂庭台まで追いかけました(こうなるとは思ってなかったのでマジで手配していてよかったと今でも思う)。

 

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駅前行の県庁市役所迂回便も無論取材しました。県庁市役所と700番台の方向幕をぎゃらりぃ様で…熱くならないわけがない。

 

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白沢転属後は霞・新寺所ぞ属時代とはうって変わって、頻繁に見かけるようになります。見かけるたびに「きゃーSSレアのぎゃらりぃ様よ!」とか語ってました()

 

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茂庭台行きに入った時の写真です。個人的には通常の西道路経由の写真と県庁市役所迂回の両方をぎゃらりぃ様で撮影できたのが本当に嬉しくてたまりませんでした。

 

f:id:nishi_no_moniwahira:20171114205202j:plain1日数本夜限定の熊ヶ根関行に充当されたときの写真です。いつまでのその姿が失われなければいいのにと思っていましたが、このときステッカーを確認したところ「29年5月」、もはや延命はないであろうと思っていました。最後の最後まで取材したいところでしたが4月からは社会人、もはやその姿を見ることはないのであろうと思っていました(29年3月撮影)

 

その2か月、雨が降る寒い5月のある日、私の中には「雨が降る日はいい出会いがある」という経験則がある。寒い中別のバス目的に取材してました、そしたら向こうから白いバスが来ました。

 

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「あれぇ~」と思いよくよく見ると…

 

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「車 検 通 し て る」

わざわざU-代車検に通すとは想定するのはさすがに思わなんだよ。

 

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ここから再び活躍しまくります。写真は晩翠通りを迂回するぎゃらりぃ様…

 

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そして青葉通りを征くぎゃらりぃ様、こんな光景を見ることができるとは思ってなかった。このままその姿を永遠に…そう願わずにいられなかった。しかし、しばらく通常運用についた後川内に戻り教習専門になりました。いつの日かその走る姿をもう一度…。

 

Fin?

S6126 ~61代日野最後の生き残り~

S6126 ~61代日野最後の生き残り~

S6126...正確には「仙台230あ61-26」のことで、日野U-HU2MMAAです。1993年に南仙台に新車で配属、その後は閖上、霞の目、岡田、新寺…と所属を変えていきます。この車両は東西線開業後我々バスオタを奔走させた(笑)みんなのアイドルです。簡単な経緯はこちら…

twitter.com

まぁぶっ飛んでます。加えて日野生き残り組三人衆の一人でもっとも長く生きた奴です。この三台に関する記事はこちらで…ぜひ! 

nishinomoniwahira.hatenablog.com

 

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私の記録に登場し始めるのは新寺所属の時代からです。初めて会ったのは2014/12/26の21:00。光のページェントの終盤の夜の岡田車庫跡です。

 

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もう勘のいい人はお分かりだと思います。「J303系統、南高屋敷直行の北一迂回」という大変ヤバい系統に乗った時です。そして翌年の12月は岡田車庫からの駅前直通は消滅している。最後の最後に運行された北一迂回J303のときです。余談ですが、この時あたりから303系統大好きマンになります。

 

それからは、S6128やS6122とかとは違いそこまで気にかけることなく例の改正を迎えました。実沢送りになり、「保留車」の紙を貼られてぎゃらりぃ様ことS6157と一緒に端の方に長い間留置されていました(2016年2月頃のこと)。

 

そしてしばらく忘れていたときに突如…

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マジかよ…川内のステッカーつけた日野ツーステが再び誕生という衝撃(このころはS6128は実沢でまだ寝てた)。私以外の人も同じ気分だったと思われます。

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今庄青果の看板が消えてますが、確かに復活しているんですよ…。めぐりあわせが悪く中々乗る機会がありませんでしたが、二ケ月後にようやく大國行に割り当てられた際に乗ることができました。

 

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ブルーリボンでみやぎ台…違和感マックスバリューって感じです。こんな感じでしばらく白沢で走ってたんですが、離脱車が復帰したのかなんかで実沢に戻され、今度は七北田に転属し教習専門の車両になりました(画像は悲しいことに無いのです…)。

 

年が明けて2017年、とうとう七北田から実沢に戻され、車検ステッカーが[2]なのでナンバー切れを待つ日々に戻りました。まぁ今度はないだろうなぁ…とか思ってたら…

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61代なのに車検通して延命させた上に犬ステッカーのまま白沢に正式に転属させるというあまりに想定外の事が起こってしまいました…。これほどのイレギュレーな事態は今後ないレベルです。結構、頻繁に動いていたのでこれぞチャンスとばかりに…

 

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別の記事でも書きましたがツーステブルリ畑前北という非常においしい組み合わせを味わえました。

 

今後も白沢で活躍していくだろう思っていました。しかし、某日S6128の最後の姿を拝もうと実沢に足を運んだところ、幕が抜かれて端に留置されているS6126の姿を見てしまいました…。ナンバーは切られていないので保留車扱いに戻ったのでしょう。

 

今までのように奇跡の再度復帰をすることを願い、そしてS6128に最後の別れを告げつつ、実沢を後にした。

 

Fin 

S6128

S6128

S6128...正確には「仙台230あ61-28」のことで、日野U-HU2MMAAです。1993年に閖上出張所に新車で配属、その後は南仙台、霞の目、東仙台…と所属を変えていきます。

 

何でか知らんが気になる…というか好きなんですねこの車。ここまで以上に執着した車は今までないし今後も登場しないでしょう。とうとうお亡くなりになられた模様なので、今まで撮影したのをまとめていこうとおもうね。文章がついてますが、めんどくさい人は画像だけ見てもらっても十分面白いと思います(むしろその方がいいと思う)。

  

私が最初に見たのは東仙台所属の時代からです。

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初めて会ったのは2015/02/02の日没迫る午後16:55。今は亡き東仙台(営)始発の70系統の割り当たった時でした。ここで当時はふそう信者であった私はヒノノヨロコビを知ることになります。この系統は空気輸送系統なのでR4とR45と卸町ぶっ飛ばして狐塚に向かいます。このときの快走感とエンジン音の良さに衝撃を受けました。ただこのときは、S6128である必要はなく、単にU-HUもいいなぁくらいの認識でした。

 

次に見かけたのは所属を新寺に変えた後の事でした。

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薄暗い朝焼けの中、南高屋敷方面から颯爽と登場してきました。このS303系統は朝の6時台岡田車庫発というかなりのレア系統です(取材のために自家用車でここまで来ました)。このころからふそう原理主義者を脱退し始めてヒノノバスンにも傾倒し始めていたころでしたので、あたりだなぁと思いました。

 

今度は卸町会館前で撮影した時に出会いました。

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この時期はまだ授業を真面目に受けける大学生のような何かだったので、日程的に狐塚始発の東口行の系統を撮影できる最後のチャンスでした。その状況で来てくれたのがこの車で、このころから「君、要所要所で必ず僕の目の前に姿見せるよね?」とか思い始めました。

 

因みにですが、この場所でS6128に加えてS6122とS6126も撮影していました。この三台が生き残り組になり、後に白沢川内のアイドルになろうとは想像できただろうか…。

nishinomoniwahira.hatenablog.com

それに関する記事はこちらで…ぜひ!

 

話し戻して新寺所属として最後に見かけたのは、霞の目(営)で早朝撮影していた時のこと。

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このときも同じく日程的に早朝の霞の取材ができる最後の日でした。新寺からわざわざ回送してきて今は亡きJ350系統に充当していたときの写真です。「乗ってね。」の看板があるおかげで印象に残りやすかったから「またこの子か…よく会うなぁ…」と思い、このころからなんとなく気になり始めていました。

 

そして、例の大改正を迎え61代までの古参車の多くが実沢送りになりナンバーが切られました。S6128もそのうちの一台になるはずであった…しかし何の運命か、「保留車」の紙を貼られてぎゃらりぃ様ことS6157と一緒に端の方に長い間留置されていました(2016年2月頃のこと)。

 

年度明頃にぎゃらりぃ様と同じく保留車だったS6126が、運用離脱車補充のため復活します。このころから古参車が次々復活しはじめますが、S6128だけは実沢の端っこの方で沈黙を守り続けます。新寺ステッカーを背負った最後の一台として…。

 

2016年度下半期の頭頃、その沈黙がとうとう破られました。

f:id:nishi_no_moniwahira:20170325221821j:plain川内の教習専門車両として復活を果たしたとの速報が流れました。このとき「何が何でも撮影しなければならない」と誓ったのです、何でかは知りません。とにかく西口BPで4時間くらい待機して稼働している姿を見た時「やっと来てくれましたね…何もしなくてもしょっちゅう姿を見せてくれた君はどこ行ったのかね!11!!!1」なんて思いました。

 

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今は伐採されたケヤキとのツーショット。太陽に照らされるウィングマークが一際美しく心に映った。なんぼしても乗りたい…と思ったが、教習専門なのでおそらく通常運用には入るまい…そう思っていました。そしたら教習が一通り終了したとき、白沢に貸出されたと情報が入り、そしてついに…

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雪の降る1月、野上かみ帰りに西口BPをふら付いている私の目に前に突如姿を現しました。時刻的にたぶん茂庭台行だろうと予測し待機したらビンゴ!西道路快走!あの日あの時あの場所(R4・R45・卸町)で味わった快走をようやく再び味わえたのであった。

 

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猛烈に吹雪くなか、そのボディは濡れ美しさが際立っておりました。この時、「たぶんこの車のこと好きなんだろうなぁ…」って思いました(写真は許可を得て)。帰りももちろん!

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白沢に貸し出されても依然として川内ステッカーのままでした。この後も折立団地のきつそうな坂を踏ん張る姿を体全体で味わいつつ、再度西道路経由で仙台駅に戻りました。こんな感じで、まぁ白沢で最後を迎えるだろうとか思っていたら川内に戻ってしまいました…。ああぁもう乗れないのかぁ…と悲しみに暮れていたんですが…

 

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なんか普通にいました。また白沢に貸し出されたのか…と思ったが幕を見るとS825…西中山から来たらしい…。そう、本物の川内として運用入り!!こんなもん乗るしかないだろ!ということで...

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川内ツーステブルリってだけで頭おかしくなるってのに、S6128で子平町の狭路を行くとかいう大変ぶっ飛んだ運用でした。

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無論一周完乗しました。その後は回送でどっかにいってしまいました…。まぁもう会えないだろうなぁなんて思って補給がてら川内に行ったところ…

 

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なんかまたいた…。雪でできたカツラは溶けてしまい、幽かにボディを濡らしていました。「水も滴るいいブルリ」とは先人もよく言ったものです。幕も経路は違えど最初に出会った時と同じ「70系統」!

 

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そしてもっとも川内(営)らしい幕を掲げたブルリは回転場に入り川内(営)へと戻っていきました。

 

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その後もフォロワー様の目撃証言を頼りに何度か見かけることができました。まったく!似合わない幕を掲げながら走ってるなぁ!

 

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とはいえそうそう動くものではなく、川内として運用入りしたのは2回だけだったような気がします。その後はまた引きこもりになり、いつの間にかまた白沢に貸出になりました。今回はS6126が車検を通してバリバリ活躍していることもあり、その姿を見かけるのは少なかったです。

 

そんなこんなある日の夕暮れ、S9902に乗って駅前から錦ケ丘にやってきて帰宅しようと待機していると…

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流石にここで来るとは思わなかったものでたまげました…運命ってあるんだなぁっと。

 

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夕日に照らされたウィングがギラリ。ヘッドライト内で反射した光がまるでダイヤモンドの輝きのように見えました。素晴らしい。

 

それから数日後の3月冒頭、またしても現れてくれました。

f:id:nishi_no_moniwahira:20170325235450j:plainしかし、そこから1時間は全く動く気配なし…。さむいつらいのを我慢し…

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ついに川内ステッカーを掲げた車で大國に行く夢までもをS6128は叶えてくれたのです。八幡町・芋沢を出会ったころと同じように良いエンジン音を奏でながら快走してくれました。みやぎ台の坂がきつそうなのもご愛敬。

 

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 川内ステッカーが大國神社に降り立つとか今となればいたく感激です!

 

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折り返し運行ではなかったので帰ってしまいました。その後ろ姿に「本当にこれで最後かもしれないな」という気持ちを抱かずにはいられませんでした。S6128の車検ステッカーは[5]、せいぜい4月までしか持たないだろうと予感はしていました。案の定この乗車が最後の乗車になりました。

 

この後川内に戻り再び教習専門になりました。私もその姿を山形行のバスの中から一目見ることができ、その姿を目に焼き付けておきました。そして…

61代のなかでも生き延び続けたS6128もとうとう幕が抜かれてしまい実沢へと移動し留置されることになりました。要所要所で姿を見せてくれたことに感謝し、最後の別れを告げること「だけ」して、私は実沢から去りました。

 

以上です、長々書きました。なぜここまでなったのかわかりません。おそらく私のメインの生息地である「閖上・南仙台所属組」という経歴、「ウィングマークにフリーサス髭」や「乗ってね。」の看板が印象に残ったなどいろいろあるとは思うのですが、それ以上に「追っかけているうちにいろいろ思い出ができたから」ってのが一番なのかなぁなんて思います。もうここまでする車は現れないでしょう、一台の車で何枚画像あるんだって話です。乗ることも撮ることも十分できたので悔いはないです。愛しいS6128よGood Night…!

 

Fin