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自己分析

はじめに(必読)

友人とこの内容で書くと約束してしまったので書くしかない。この項目は陰気な自分語りが書いてあるだけのページです。暗い気分は伝染しますので以下文章は見ないことをお勧めします。どうしても見たい、怖いもの見たさ、君の指示には従いたくはない、と考える方は先に進んでください。そうでない人は五段階時間をあげるので退避してください。

 

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引き続きご覧ください

 

概要

基本的なベースは「自分に自信がない」ということですね。そこから派生して「劣等感を自ら欲する」ことが柱にある模様です。ここでは第章、第二章一部、第二章二部、第三章、第四章に分けて書いていこうと思います

 

第一章 自分に自信がない

「自分に自信がない」とはどういうことか。これは高校時代に次第に形成されたものですね。中学の頃は人並みに自信がありましたし、いじめられたりすることもありませんでした。運動が下手くそでしたが柔道部の人間だったこともあり邪険な扱いをされることもありませんでした。友人もそこそこいました。おかしくなったのは高校からです。

 

第一に「自分が誹謗中書されたと妄想した」ことです。

全く知らない中学出身の人間に「空耳で」私を中傷された気がしました。こんなのは今まででもよくありましたしここだけ考えればそこまで大きいことではない。しかし、高校1年4月、早く交友関係を作って孤立を防ごうと躍起になる自分にとってはとてもダメ ージの大きい出来ことなのでした。「何でそんなこと言われなあかんのや?」と憤慨しそいつのことを徹底的に嫌いました。今でも見かけるとダム湖に突き落としたくなりますね。その裏で自尊心が削られ始めます。
 
第二に「成績低下」です。このころ成績が芳しくなくいい点数が取れなく中流にいました。中学や高校1年は上流にいたのに…。英語が駄目だったんですね。成績がいいことが一種の誇りだったのです。それが崩れてこころの支えを1つ失いました。
 
第三に「自分が誹謗中書されたのを聞いた」ことです。三年のとき女子から陰口を叩かれました。この女のことは私も嫌いでしたが、嫌いな女とはいえ直に陰口を聞くと案外やられます。実は、女子からよく見られることはあっても悪く見られることはほぼなかったもので、相当心にキタみたいです。なお、その女子は卒業の時にわざわざ私のところにきて私の人生観への理解を示していきましたとさ。彼女からすれば最初は変に達観しすぎた私の人生観が気に入らなかったのでしょう。
 
これ以外にもいろいろなことが重なり自信を失い、鎧で心を覆うようになります。このことそのものは何の問題もありません。思春期の人間多かれ少なかれ誰でも経験します。問題なのは普通の人間は中学卒業までに経験すべきなのを高校の後半でやってしまった ことなのです。
 
最後のとどめは「大学不合格で浪人」ということです。目指した大学が間違っていたんです。たかが数学得意というだけでいい気になって受験してやられました。はっきり言います、浪人するくらいなら現役で入れる大学に行くことの方が遥かにましです。後期試験で某大学の経済学部は合格してましたが、気の迷いで浪人しました。それが誤りだったのです。行けるところに行く、蒔かれた場所で花を咲かせる。それが人間一番幸せなのです。

 

第二章一部 劣等感を自ら欲する

浪人して仙台のアーケードをとぼとぼ歩く中で楽しそうに話しながら歩く大学生たち、それと引き換え自分は…。この劣等感が自分を襲います。しかもこのころはストレスでの過食でBMIが30位はあったんじゃないかなぁ。「自分は容姿もあれで浪人生として社会のつまはじき者として生きる無様な人間」だと考えるようになり一層自信を無くしコンプレックスの塊みたいな人間になりました。

 

最後の心の支えはが「大学合格」だけだったのです。幸いにして行きたいと考える大学には入ることができました。運がよかったんです。センター試験の製作者が僕を大学へいざなったと言ってもいいくらいです。そこに自分の努力の成果などなかったと言ってもいいくらいに。そう、1年間浪人して合格できたのは「問題と周りのおかげ」という事実の前に余計に自分の無力感を感じました。 入れたのはうれしい、でもそれは自分の力ではなく「多くの人(主に親)の助けと運を借りた」に過ぎない。このころから考え方の主従が反転しはじめます。
 
入学してからもそんな感じだった。ことごとくやる気が起きない。無力感にやられるだけの…ただ進学できないと困るから何とかする。その繰り返しだった。このころから致命的に目的と手段が入れ替わり始めます。「自分が劣っている理由を探し始めるのです」 余りにも長く劣等感の海に浸っていたから、そこから抜け出すと逆に不安になるんです。「人から見下されたくない」と思うと同時に「他人から見下されている方が一種の安心感を感じる」という二面性、アンビヴァレンスを持ち合わせるようになる。「周りはイケメンで、彼女持ちで、頭がよろしくて、趣味も充実しているのに自分はこのざま、生きてる価値あるの?」パーツを見つけてきてこの文章に加えていきます。徹底的に自分を追いつめ始めます。現にそのとおりだなぁと思います。
 
こんなもの考えてる人間が人付き合いできるとは考えられませんよね。だってほかの人と対面するたび嫌になるようだったら引きこもりになるに決まってます。ただ、大学の授業には出ないといけない…授業は面白い、外に出るのは苦痛だ。そんなのの繰り返しでした(だから通勤にもなんとか喜びを見出そうとしているうちに750系統に出会います…ここからバス沼に嵌るのは別の機会に)。それでも劣等感を感じてないと不安になることはやめられなかった。ここからさらにおかしくなります。

 

※脱線するが、ここで疑問が出てくる。こんな状況で今交流できる人がいるのはどうしてなのか…答えは簡単で、自分がこんなんどうしようにもない人間だというのを見せてもいいかなと、素直な自分で接してもいいかなぁと感じることができる人々がいるからです。ここに自分が今後救われるヒントがある気がします(要は鎧が自分の生きるのを邪魔しているだけなんです)。

 

第二章二部 自分ができることはほかの人でもできる


劣等感を感じるのとほぼ同等なのですが、このときは「でも自分にはこれができるから誇れるものはある」と考えて自我を守ることは何とか出来たのです。しかしそれも壊れ始めます。四年の就活です。私はひいひい言いながらギリギリで内定は取ることができました…。こんなにも辛いことはなかったです。もう嫌です。ある意味「内定」すらも心の支えだったのでしょう。

 

「自分なりに努力はした、頑張ったはずだ…しかし世の中の大学生は当たり前のように内定を取っている…そんななかで…。」こんなこと繰り返し考 えているうちに「自分ができることはほかの人でもできること」「代替はできる」「自分である必要はない」とあらゆるものについて考えるようになり、致命的に支えを失いました。加えて今まで自分の功績は所詮は自分の力ではなく周りの人の助けを借りて何とか得たものであるということをはっきり自覚してからはそれが加速した。端的に言えばアイデンティティが発散したんですね。

 

第三章 逃げ道がない


就活等々の疲れでタバコまでやるようになりました。心の支えがなくてタバコにそれを求めたんですね。案の定ド嵌りして、最後にはタール42mgのガラム缶に手を出して常習してました。今はタバコはやめました。酒がまずくなるのが嫌だったからです。止めれたのは良かったとは思います。しかしそもそも吸わなければ…と考えると再び劣等感にさいなまれます。どうしようにもないですね。

 

逃げ道がないとは、タバコ吸っても酒を飲んでも自分に対する冷静な判断能力を失うことができないということです。酒を飲んだ私と話したことがある人はわかると思いますが、酒を飲んでも強力なタバコを吸っても酒乱のようにならないのです。それだけ理性なるものが残っているからです。

 

嗜好品に強い肝臓というのも問題なのです。逃げることが重要なのにそれすらも手軽にできない。いつも現実が付きまとう…だからと言って酩酊するまでは呑みたくない、お酒に失礼だ!結局逃げ道は睡眠しかないが、人間無尽蔵に寝られるものでもない。だからと言って自分を許すこともできない。おそらく業務に支障が出るレベルも疾患だと思います。さらに楽しいことをやったり考えていてもどこか心の奥底で自分に対する劣等感、現状への絶望、それを変えようとしない自分への他人からの嘲笑が頭をよぎるのです。よくうつ病にならないなぁと自分でも感心します。

 

第四章 影響・最後の希望

これらの考え方は自分だけの中で完結するものではない。確実に自分の行動様式に影響を及ぼします。まず、自分を積極的に伝えようという意識が霞みます。当たり前です、無力で無気力かつ劣っている自分自身を他人に伝えることに何の意義も感じないからです。業務連絡や情報交換ならできるが、普通の会話ができない。理由はともかくこういう若者は現に多いと思う。飲み会で何気ない会話もたわいもない会話ができなく、やっぱり俺って病気なんだなぁ…って感じてます。いっぱい話せる人がうらやましい、何気ない会話の糸口を見つけることができる人間がうらやましい。どうやっても自分がその境地にたどり着けないのだから。

 

つぎに、生きる気力を失い保守的になります。こういう人間は別に死にたいとは考えないんですよ。だって自分で勝手につらくなってるだけなので無意識の層では自滅を願うようなことはしないのですから。人間死のうと思って死ねません。防衛本能がありますから。死ぬということは無意識のレベルで解放されたいと懇願した時に限るのです。だから「死にたくないらか生きるけど積極的に生きたいとは思わない」という受動的な生を選びます。そうすると挑戦的なことなんてしなくなるんですね。だから余計に精神がめいる、悪循環なんです。

 

上記二つがまた劣等感を増幅させる、そして…この悪循環が始まる…。どうしようにもない…。今後私は社会に出ていかないといけない。こんな状況で会社という組織でやっていけるとは思えない。社会不適合者の自分としてはこのまま没することができればいかに楽であろうか…。残念ながら親を悲しませたくないという最後の良心があるのでしばらくはそれはできない。せめて最後まで一般人の姿を親に見せ続けていたい。それが私の最後の支えなのであろうから…。

 

ほんと、救えない人間だ。客観的に分析するに自分はここまで悲しい人間なのだと実感した…。仮説だが自分のこの考えをすべて受け入れてくれるような「ユイ」に出会ってしまったらば、死に物狂いで惚れて手段を選ばない人間になりそうである。たとえすべてを敵に回そうとも。「ゲンドウ」の生き方はある意味で僕の理想なのかもしれない。そもそも論としてユイに出会えないからその生き方は僕には無理だがね。

 

Fin